会話の「雰囲気」まで可視化するスマホアプリ

――まずは、「YYSystem」について教えてください。
中村:YYSystemは、発話や環境音を「見える化」することで、コミュニケーションをサポートするアプリケーションシリーズです。私たちがしゃべった言葉や、周囲の音をリアルタイムにキャッチして、文字やイラストとしてスマホやタブレット、PCに表示させることができます。
――……とお話ししている間に、中村さんの言葉がどんどんスマホに文字として表示されています。すごいですね。
中村:はい。これは、「YY文字起こし」というスマホ・タブレット用の文字起こしアプリですね。拾うのは言葉だけじゃないんですよ。ほら、見ててください。(拍手)

――あ! 「パチパチ」とかわいい色付きのフォントで表示されています! 環境音を認識するというのはこういうことなんですね。
中村:同じように笑い声は「あはは」と表示されますし、電車が通れば電車のイラストが、音楽を鳴らせばマイクやギターのイラストが画面に浮かぶようになっています。生活環境を可視化して、日常生活を円滑に送ることをめざしたアプリです。
――単に言葉だけでなく、会話や周囲の雰囲気まで可視化してくれるのですね。具体的にはどのようなシーンで使われるのですか?
中村:聴覚障害者や高齢者など、言葉や音を認識するのが難しい人に使ってもらうことが多いですね。たとえば、友だちと会うときや買い物にいくとき。相手が話した内容がリアルタイムに文字起こしされ、利用者がキーボードを使って文字を打つことで「会話」ができる。また、急に電車が止まってしまうなど緊急時にも便利です。アプリを起動しておけば、アナウンスなどをキャッチしてくれますから、何が起こっているのか素早く理解することができます。オフラインでも使えるので飛行機の機内でも活躍します。翻訳機能も付いているので、日本に住む外国人のユーザーも多いですね。

――「YYSystem」には「YY文字起こし」以外にもさまざまなツールがありますが、どのように使い分けるのでしょうか。
中村:それぞれに使い道が異なります。「YYサイレンアラート」は、環境音に特化したアプリで、救急車や消防車、パトカーのサイレン、インターホン、子どもの泣き声などを正確に判断し、Apple Watchと連携して振動で知らせることができます。聴覚障害者の身を守るためのアプリと言えるでしょう。

――街中を歩く、運転するといったシーンにとても心強いですね。
中村:一方で、「YYProbe(ワイワイプローブ)」は会議アプリで、仕事の現場で役立ちます。大人数との会議はもちろん、騒音の多い工場の中などで、会話をリアルタイムにテキスト化し、撮影した画像や資料を投稿し合うことができます。「YYレセプション」はプロジェクターや透明ディスプレイなどのスクリーンに音声認識テキストを表示できるアプリで、大規模な会議や講演のほか、役所や病院の窓口などで利用されています。

――もう一つ、「YY雰囲気カメラ」はどんなシーンで使うんでしょうか。
中村:これは、もともと子ども向けに開発したものです。YY文字起こしと同じように、会話をリアルタイムでテキスト化してくれるだけでなく、環境音や笑い声などさまざまな音がイラストとして表示されます。また、流れている音楽をキャッチして曲名やアーティスト名を表示したり、認識した歌詞を解析してイラストや画像が生成されたり……。

――すごく楽しいアプリですね。子どもが夢中になりそう。
中村:言葉からの情報だけでなく、「みんなが聞こえている音」を目で認識してもらいたい。そんな思いで開発しました。会話のきっかけとして使ってもらえたらと。

コロナをきっかけに「あらゆる人が使える」ツールに
――そもそも、中村さんと日下さんの在籍する株式会社アイシンは自動車部品メーカーですよね。どうして聴覚障害者向けのツールをつくることになったのでしょうか。
日下:弊社は、愛知県に本社を置く自動車部品のメーカーです。国内だけでなく、世界中に生産・研究開発拠点があり、従業員数は単独で3万5000人以上、連結子会社を合わせると約13万人。障害者雇用促進法に則っていることもあり、約300人の聴覚障害者が働いています。私は昨年まで社内の障害者雇用を担当しながら、アイシングループ各社の障害者雇用に関わる支援を事業として行ってまいりました。障害のある方から働く上での合理的配慮の過不足や、お悩み等をヒアリングし、必要に応じて問題を解決するために邁進していたんです。

――日下さんは聴覚障害者のお悩みを聞く立場。中村さんはどういった部署におられたんですか?
中村:私は当初、社内向けの会話記録アプリとして「YYProbe」を開発していました。会議だけでなく、普段の会話を音声認識によって記録してもらい、その内容を解析して集計・分析することで組織の生産性を上げていくことが目的でした。
――聴覚障害者向けにアプリを開発していたわけではなかったのですね。
中村:はい。ちょうどYYProbeの試作品ができた頃に、新型コロナウイルス感染症が蔓延。私たちは在宅勤務、オンラインMTGが当たり前となったんです。
日下:ただ、それが聴覚障害のある方にとっては困難の連続でした。オンラインMTGでは声が聞き取りにくい、相手の表情や口の動きが読み取りにくい。また、工場などの現場で働く人も、マスクをしていますからコミュニケーションが取りづらいという声も。コロナ前から検討していた音声認識アプリの導入検討を更に加速させ、中村さんにすぐコンタクトを取りました。
――日下さんから相談を受けて、中村さんはどう思いましたか?
中村:今のYYProbeのままではだめだと思いましたね。その頃のYYProbeはあくまでも「話せる人」しかインプットできず、「聞こえる人」しかアクセスできないシステムだったんです。あらゆる人が使えるツールにするため、どのような機能、性能、使い勝手が必要かなど、すぐに当事者へのヒアリングを開始し、コンセプトを根本から見直すことにしました。

日下:次々と意見が挙がってくるのですが、中村さんに伝えると翌日には実装されている。そのスピード感には私もユーザーも驚くばかりでした。
当事者の声をもとに開発・ブラッシュアップ

――もともとは社内で使用するアプリでしたが、今では一般ユーザーも増えています。
中村:「YYProbe」と「YY文字起こし」のiOS版累計ダウンロード数は5425万を超え、多くのユーザーから反響が寄せられています。一般に公開するようになってからは、社内のユーザーだけでなく、LINEチャットルームやX(旧Twitter)などを通していただいた意見もツールに反映するようになりました。
――まさにインクルーシブデザインですね。
中村:そうですね。「聴覚に障害がある人はこれが便利だろう」といった思い込みで開発するのではなく、「本当に使える機能って何だろうか」っていうのを当事者と一緒に考える。そこがYYSystemの強みだと思います。
――そのあたりのデザインプロセスが評価され、YYSystemは2023年度グッドデザイン金賞を受賞しました。
中村:実装されている機能のほとんどすべてがユーザーの声から生まれたものです。キーボードや電車や救急車などの接近をアイコンで知らせてくれる機能や、拍手や笑い声などを伝える機能もそう。「対面で会話するときに使いにくい」と言われれば、画面を分割して両側から同時に文字が読める機能を、「会話が早すぎて文字情報が追えない」と言われれば、長い文章を要約する機能を追加しました。

――全国の企業や自治体、教育機関からの問い合わせも増えているそうですね。
日下:実は、私たちから企業や自治体に提案するということはないんです。YY文字起こしをプライベートで使用している方が、務めている会社などに「YYProbeを導入してほしい」と提案してくださることが多いようです。
――あくまでも「便利だから使いたい」という当事者側からの提案なのですね。
日下:そうなんです。YYSystemを使ううちに、みなさん意識がどんどん変わっていくんです。これまでは、音声コミュニケーションによる打ち合わせへの参加が難しかった人が前向きに発言するようになったり、新しいプロジェクトにチャレンジしたいと言うようになったり。今まで目の前にあった壁が取れて、互いに歩み寄れるようになっている気がします。

中村:そうですね。美容師さんと会話ができないから美容院に行ったことがないという方が、「YY文字起こしを使って初めて美容院に行けました!」とおっしゃってくださったり、これまで家族に付き添ってもらわないと病院に行けなかったという方が、「一人で行けるようになった!」と報告して下さったり、行動がポジティブになっていく。そういう姿を見ると、本当にやっててよかったなと。すごく嬉しいですね。
テクノロジーの活用で人生が大きく変わる
――YYSystemには独自の音声認識機能が搭載されているそうですね。
中村:YYSystemはもともと、アイシンの自動車部品工場の中で働く人向けのアプリですから、騒音環境下でも正しく文字にできないといけないという要件がありました。ですので、音声認識モデルも強いものを採用しつつ、独自の技術でさまざまな音を処理できるようにし、リアルタイム、かつ正確に文字起こしができるようになっています。
――高い音声認識機能を備えるだけでなく、さまざまなAIを搭載していますね。
中村:DeepL(機械翻訳)やChatGPT(対話型AIチャット)、Stable Diffusion(画像生成AI)など、さまざまなOpen新しいAIが登場し、どんどん技術があがっていったことで、数年前までは考えられなかったようなことが実現できるようになったのは大きいですね。ユーザーの声にフレキシブルに答えられるのも、AI技術の進化のおかげです。

――少し前だったらここまで便利なアプリにはなっていなかったということですね。
中村:そうですね。AIの進歩でアプリがより便利になっていくのもそうですが、世界中でSDGsに取り組むなど、世の中がダイバーシティ&インクルージョンの波に乗っていることもあり、YYSystemに興味を持ってくださる人や企業が増えていると感じています。
――2025年にはデフリンピック(聴覚障害者のオリンピック)が日本で開催されます。
中村:デフリンピックに向けて、弊社と、デザインベンチャーの株式会社方角さん、早稲田大学岩田研究室との産学三社協働で、「ミルオト」というプロジェクトを進めています。競技の雰囲気や応援の声などをオノマトペとしてとらえて、大型スクリーンやオンラインでの画面に映し出すことで、ビジュアルで音を体感してもらうという取り組みです。

――画期的ですね。
中村:ぜひみなさんに注目していただきたいと思っています。「対象がマイノリティだから」と知られていないことも多いのですが、世の中には、テクノロジーを活用したすばらしいサービスや技術がたくさんあります。そして、そのテクノロジーは人が使いこなしていくことでどんどん進化する。進化するから、使いやすくなったり、できることが増えたりして、人がポジティブになるんです。
――まさにYYSystemで続けてきたことですね。
中村:はい。そういういい循環を生み出すためにも、今後は、志が同じ人や企業とタッグを組んだり、SNSやメディアなどでアプリを使った体験を発信したりするなど、積極的にインクルーシブな社会づくりに貢献していきたいと考えています。

【プロフィール】
中村正樹(なかむら まさき)
株式会社アイシン グループ技術開発本部 先進開発部 第5開発室 YYSystemプロジェクトリーダ 主査
日下喜与美(くさか きよみ)
株式会社アイシン CSSカンパニー バリュープランニング室 YYSystem事業推進グループ
キャリアカウンセラー、企業在籍型職場適応応援助者 障害者職業生活相談員
(取材・文:高橋顕子 写真・編集:高山諒)