「教育×テクノロジー」ですべての子どもに最適な教育を実現
コロナ禍が大きな転機となって、「リモート会議」や「オンライン診療」をはじめ、ITのデバイスを活用した新しい働き方やサービスが続々と登場しました。こうしたなか、学校に通わなくても授業を受けられる「リモート教育」も広がりをみせています。これを支えている技術革新が、「エドテック」です。
エドテックとは?
エドテックとは、英語の「エデュケーション=Education(教育)」と「テクノロジー=Technology(技術)」を組み合わせた造語で、ITによって既存の産業構造を変革する「X-Tech(クロステック)」という概念のなかのひとつです。2010年頃、米国で登場したといわれています。つまりエドテックは、ITの力を使って、現在の教育システムをパラダイムシフトさせるしくみなのです。
日本の代表的なエドテック研究者である佐藤昌宏氏(デジタルハリウッド大学大学院教授)は、「教育システムにITを導入するだけではなく、いままで解決できなかった教育上のさまざまな課題をITで解決し、教育にイノベーションを起こすことがエドテックである」と定義しています。
エドテックがいま必要なワケ
エドテックは「すべての子ども」に最適な教育を提供可能
では、エドテックによって教育にどのようなイノベーションが起こせると考えられているのでしょうか。特筆すべきは、「すべての子どもに『個別・最適な教育』を与えられるようになる」という点です。
現在の教育システムは、生徒が学校の教室に集合し、一緒に授業を受けるというスタイルが一般的です。塾で家庭教師などから個別指導を受けるといったスタイルも存在しますが、集団学習と比較すると多くありません。しかし、将来的にはエドテックによって、モバイル端末を通じたオンラインでの個別学習が主体となり、教室での集団学習は補完的になっていくと予想されているのです。
「落ちこぼれ」と「吹きこぼれ」を生みやすい現代の教育システム
集団で同じ授業を受けた際、生徒によってそのとき理解できた内容や身につけられた知識には個人差があります。しかし、授業は通常1回しか行われないため、ついていけない生徒は置いてきぼりになり、やがて「落ちこぼれ」になるリスクがあります。
このリスクを回避するために、授業を行う教師はついていけない生徒にあわせて授業の進め方を調整せざるをえません。つまり、授業の学習レベルが低下しやすいといえます。そうすると、優秀な子どもにとっては授業がつまらなくなり、学校に行きたくない「吹きこぼれ」が増えるといった弊害が生じます。
一方、オンラインの個別学習であれば、生徒が自分の学力や学習スピードに合わせて勉強することが可能です。授業内容がわからなければ、該当部分の動画を繰り返し再生することで復習できます。これにより、放課後等に集まって、改めて補習をする必要がなくなるでしょう。難易度別に授業の動画を用意すれば、学力の高い生徒は、自分で先の学習段階に進むこともできます。教科ごとの「飛び級制度」を取り入れることも可能です。
さらに、さまざまな要因から教室での授業に馴染めない「不登校児」の増加が大きな教育問題となっていますが、オンラインであればそうした子どもであっても授業を受けられる可能性が高まります。
「学習ログ」で生徒の理解度を詳細に把握できる
エドテックがもたらす恩恵は、それだけではありません。オンラインでの個別学習の場合、生徒1人ひとりの「学習ログ(時系列で記録・保管されたデータ)」を残すことができます。
この学習ログをAI(人工知能)に解析させれば、「生徒Aは因数分解がわかるが、生徒Bはわからない」といったぐあいに「誰が、どの教科のどの部分を理解できていないのか」といったことが詳細に把握できます。これを活用すれば、生徒の弱点を集中して克服するプログラムを作ることも容易です。
その一方で、個別学習では周囲の生徒からの刺激がない分、「学習意欲が減退するのではないか」といった懸念もあります。
しかし、株式会社Herazika(ヘラズィカ)はこの懸念点を払拭できる「オンライン自習室」というサービスをリリースしています。オンライン上の「バーチャル自習室」に学生が集まり一緒に勉強に励むことで、学習意欲の減退を防ぐことが可能です。
世界に引けをとらない日本のエドテック
世界では、主に米国がエドテックをリードしています。米国では、誰でも無料で教育用動画を視聴できる「カーンアカデミー」が2008年に開設され、エドテックの先進事例として知られています。
また、中国も“米国に追いつき、追い越せ”と猛チャージをかけていました。ところが、エドテックによって学校以外の教育サービスを受けられるようになった富裕層の子どもが「受験で有利だ」との国内批判が高まり、中国政府は2021年、学習塾などの教育サービスへの規制を強化しました。これにより教育産業は大きな打撃を受け、エドテックの開発競争では、先頭集団から1歩後退したという状況にあります。
他方、日本も負けていません。文部科学省は2019年、全国すべての小学生~高校生に1人1台の教育用モバイルを支給し、高速通信ネットワーク環境を与える「GIGAスクール構想」をスタートさせました。こうした取り組みは、先進各国を含めて世界初です。日本がエドテックのトップランナーになるのも夢ではありません。
通信制高校の概念を変えたN高校とS高校
未来のエドテックを先取りしたような教育機関も、すでに日本に誕生しています。その代表例が、2016年に開校した沖縄県うるま市の「N高校」と、2021年に開校した茨城県つくば市の「S高校」。両校とも、KADOKAWAグループが創設した私立のオンライン通信制高校です。
いままでの通信制高校は、全日制高校に通学できない事情を抱えた若者や、働く若者などが学ぶ“特殊な高校”というイメージがありました。ところが、N高校とS高校は、そうした従来の通信制高校のイメージを大きく塗り替えたのです。
オンラインで授業を受けられるため、日本国内はもちろん、外国にいても学ぶことができます。両校の生徒数は2022年12月時点で合計約2万3,000人と日本最大規模。単位制のため学びたい教科を自由に選びやすく、「学力を伸ばせる」と人気を集めています。英語や数学といった主要科目だけでなく、プログラミングやデジタルクリエイティブといった両校ならではの科目も履修が可能です。
原則としてホームルームもリモートで実施されますが、全国各地にスクーリング(対面での必修授業)のためのキャンパスがあり、通学での学習をメインとしたコースも選択できるようになっています。
クラブ活動も盛んで、「起業部」「投資部」「eスポーツ部」といったユニークなクラブもあります。また、SDGsのアイデアを競うコンテスト「SDGs探求AWARDS」で中高生部門優秀賞を受賞するなど、多方面で活躍を見せています。
開校当初は、「オンライン通信制高校で社会性が身につくのか」「友人が作れるのか」などと疑問視されていましたが、杞憂に過ぎなかったようです。デジタルネイティブの高校生は、オンラインの学習環境にうまく適応して、コミュニケーションを取ったり、学園生活を楽しんだりしているのでしょう。
両校は進学実績も高く、2021年度は東京大学と京都大学に各1名、早稲田大学に40名、慶應義塾大学に26名が合格しました。オンライン通信制高校でも難関大学入試を突破する学力が得られることを証明した格好です。さらに、中国の北京大学やカナダのトロント大学といった海外の有名大学への進学も増えています。
N高校・S高校のほかにも、2020年には、新潟産業大学がオンラインで経済学や経営学を学べる通信制大学「managara(マナガラ)」を新設しました。このように、今後はエドテックを活用した新型の学校が全国に展開すると見込まれます。
「入試」も不要に!?…エドテックが広げる「自由」の可能性
エドテックが広く普及すれば、「試験」のシステムにもイノベーションが起こるでしょう。
たとえば、オンラインの個別学習が当たり前になり生徒1人ひとりに単元ごとの理解度テストが行えるようになれば、学期末に一斉に行う定期テストが不要になります。
さらに、大学入試のような「受験制度」も不要になるかもしれません。先述の「学習ログ」によって高校生のリアルタイムの学力がわかれば、そのログに基づいて大学入学の資格を与えたり、合否を決めたりすればいいわけです。
公務員試験や企業の入社試験、国家資格試験といった能力テストの仕組みも、エドテックによって様変わりするかもしれません。
もしかすると、「偏差値ヒエラルキー」もなくなるかもしれません。1つの学校に固執する必要がなくなり、たとえば高校生であれば、教科ごとの学力に応じて全国共通のオンライン授業を受けたあと、地域別・クラブなどでリアルの高校を選ぶ、といった将来像も考えられます。
まとめ
特許庁の調査によると、世界の教育ICT市場は、学校教育関連ソフトの成長などをテコに、2025年までに1,812億6,400万米ドルに拡大すると予測されています。
そうしたなか、日本の教育ICT産業の推定市場規模は、2025年時点で936億5,000万円にとどまっています。これは米ドル換算すると約6億8,600万ドル(2023年5月1日現在の米ドル為替レート1ドル=136.8円)です。すなわち、世界の教育ICT市場に比べ日本の教育ICT産業の推定市場規模は0.4%程度にとどまっていることが分かります。
にとはいえ、国と地方を合わせた文教費の年間予算は、約23兆円にも達しています。公的教育サービスのデジタルシフトは今後加速すると想定され、日本のエドテック産業の潜在的な成長可能性は、非常に大きいといえます。
*
ライター:野澤 正毅
1967年12月生まれ。東京都出身。専門紙記者、雑誌編集者を経て、現在はビジネスや医療・健康分野を中心に執筆活動を行っている。