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動物のためのがん検査「マイクロRNAを用いたリキッドバイオプシー」が、アニマルヘルスケアの未来を変える

2024.02.29(最終更新日:2024.03.04)

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我が子同然のペット(伴侶動物)が病気となれば、一大事だ。それも「がん」と聞いたら、目の前が真っ暗になってしまう飼い主は多いだろう。
イヌとネコの死因の第一位は、がんである。イヌに至っては、半数以上ががんで亡くなっている。ヒトと同じで、がんから命を救うための最良の方法は、早期発見である。しかしながら、動物は「ここが痛い」「つらい」などと話すことができない上、予防のためにがんの定期検診などを受けるのは一般的ではなく費用もかかるため、早期に発見するのは困難だといわれてきた。

2022年11月、画期的ながん早期発見システムが発表された。12がん種の検出をわずかな血液で発見できる次世代診断システム「イヌの血中マイクロRNAを用いたリキッドバイオプシー」だ。精度は非常に高く、CTやMRIでもキャッチできないような小さな腫瘍も発見できる可能性を秘めている。メディカル・アーク社の代表取締役であり、腫瘍専門の獣医師である伊藤 博先生に話を伺った。

早期に12種のがんを特定できるリキッドバイオプシー

――まずは、リキッドバイオプシーとはどのようなものなのか教えてください。

がん細胞から分泌される血中内およびエクソソーム内のマイクロRNAを利用したリキッドバイオプシーは、血液検査でがんを発見する早期診断システムです。血液中にあるがん細胞から分泌される「マイクロRNA」を解析して、がんの有無だけでなく、何のがんに侵されているのかまで調べることができます。現在は、肝臓がん、尿路上皮がん、口腔内悪性メラノーマ、悪性リンパ腫、肥満細胞腫、血管肉腫、骨肉腫、扁平上皮がん、肺腺がん、鼻腔腺がん、肛門嚢腺がん、乳がんの12種類を特定することが可能となりました。

―――マイクロRNA……。一般には聞きなじみのない言葉ですが、どのようなものなのでしょうか。

マイクロRNAは、主にエクソソームという二重脂質のカプセルに内包されて、細胞から放出され、必要とする周囲の細胞に取り込まれて細胞間同志の情報伝達物質(善玉)としての役割を担っています。また、がん細胞も生体で生き残るために、大量に悪玉のマイクロRNAを詰め込んで放出しています。その際に血液中に漏れたマイクロRNAを検出してがん種を特定します。
現在、マイクロRNAはヒトのがん研究の最先端分野であり、東京医科大学の落谷孝広教授らが解析・研究を進めています。

ヒトのがん研究の世界的権威者とタッグを組んで実用化

――伊藤先生のイヌのがん研究にかける思いをお聞かせください。

私は、伴侶動物の腫瘍科で、長い間、がんにおける研究や臨床に従事してきました。
主に手術だけでは助けることが出来ないがんに対して生体の力を借りた「免疫療法」の研究に着手してきました。さらに、弱っている生体の活性を促すため「再生医療」の研究にもいち早く取りかかり、農林水産省から初めて再生医療の治験受託を得ることも出来ました。しかしながら、がんは生体で生き抜く為の様々な特殊機能を有する手強い相手です。

――家族の一員として一緒に過ごす動物のことを伴侶動物またはコンパニオンアニマルというのですね。

イヌやネコは人生の伴侶的存在であり、私たちヒトとより密接な関係を持つ動物という意味を込めて、今では「コンパニオンアニマル」と呼ばれています。
ヒトより寿命が短い伴侶動物の死因の第一位はなんだと思いますか? 実はヒトと同じ、がんなのです。イヌは半数以上ががんで亡くなっています。私はこれまでに数えきれないほどのイヌやネコのがん治療に携わってきましたが、何度も頑強ながんに打ちのめされてきました。早期に見つける技術が確立していないため、大きく広がっているがん細胞を手術で取り除くことができない悔しさや術後に転移が見つかるなど……。辛い、情けない思いをしてきました。どうやったらがんと闘えるのかと試行錯誤しながら、免疫療法の研究に没頭していました。また、外科の技術を向上するために、深夜になっても必ず執刀後に全ての症例についてメモをとるなどさまざまな方面から力を注いできました。

――そんなときに、マイクロRNA研究の世界的権威である落谷教授と出会うわけですね。

当時、国立がん研究センターの落谷教授は女性の乳がんを治療する核酸医薬を開発中で、マウスやラットによる安全性、治療効果などが終了し、臨床試験を行う段階に入っていました。臨床試験とは、安全性は勿論、ヒトに対して新しい治療法の効果を評価するための試験のことです。とはいえ、いきなりヒトで臨床効果を評価するにはリスクが高いのではと思い、そこで、乳がんのイヌに対し「獣医師の裁量」で飼い主様の同意を得て、先ずは乳がんのイヌに投与して臨床効果を評価してみてはどうかということを提案しました。これは動物実験と勘違いされやすいのですが、あくまでも「獣医師裁量」における臨床効果の評価です。

――獣医師として、ヒトのがん研究に協力したということでしょうか。

そうですね。同じ哺乳類ということもあって、特にヒトとイヌの疾患は似ている点が多いのです。今回の治療の結果、臨床的に効果が確認でき、ヒトでの臨床治験が開始されることになりました。次いで落谷教授が開発した骨肉腫の核酸医薬を乳がんと同様にイヌを用いて治療した結果、肺への転移を抑えて延命することが判明しました。これらのことを踏まえて、落谷教授とタッグを組み、ヒトと動物の医療の壁を取り除き同じプラットフォームで討論することができる「ヒトと伴侶動物の比較医学研究会」を立ち上げました。

――落谷教授のリキッドバイオプシー技術をイヌへ応用したのにはそのような経緯があったのですね。

イヌのがんは、ヒトの5~7倍のスピードで進行し、1年と持たないことも多く、早ければ3カ月ほどで亡くなってしまいます。ヒト以上に早期発見が重要になってきますから、とにかく簡単に素早く検査できるものが必要だと考えていました。落谷教授からマイクロRNAを用いたリキッドバイオプシーの話を聞いた時に、背筋に電流が走るような衝撃を受けました。伴侶動物のがんと闘い続けてきた私に、ようやく強力な武器が手に入ると確信しました。

――実用化に至るまで、どのくらい時間がかかりましたか。

資金の調達や研究開発に苦戦し、約6年の歳月がかかりました。未だ日本の企業は、イヌやネコが家族だという意識が低いことやヒトの市場性を重んじることが大きな原因だと思います。しかしながら、今も苦しんでいる動物や飼い主がいることを考えると、身銭を切ってでも実用化を進めるべきだと腹をくくりました。落谷教授の技術サポートを受け、獣医科大学と二次診療施設との共同研究によって、イヌの12種のがんに対して血液を用いて簡易に判定する技術をようやくヒトに先駆けて、伴侶動物のイヌで確立しました。
2021年2月にメディカル・アーク社を立ち上げ、イヌのがん早期健診ンシステム「リキッドバイオプシー」が本格スタートしたのは2023年1月11日で、いわゆる「ワンワンワンデー」から、ようやく全国の登録指定動物病院にて12がん種の検査が受けられるようになりました。今、思い起こせば成功するまでは、長く厳しい日々の連続でした。

わずかな血液を採るだけだから健康診断のついでに受けられる

――具体的にはどのような検査になるのでしょうか。

登録指定病院で問診・触診を受けた後、5mLほどの血液を採取して血清を分離するだけです。他のがん検査のように、麻酔や太い針やメスを使うといった大がかりなことは行わないため、イヌの体への負担もほとんどありません。その後、担当獣医師から採血後の血液から分離した血清を送っていただき、弊社にてがん特定のマイクロRNA検査をデジタルPCRという測定装置を用いて行います。

――イヌに「食欲がない」「痩せてきた」「しこりがある」といった症状がなくても測定できるのでしょうか。

がん特有のマイクロRNAは、ヒトのデーターからも、がん細胞が数㎜と小さいとき、つまりステージ0の段階から血液中に分泌されているため、症状がなくても診断できる可能性が高いです。精度が90%以上ではありますが、あくまでスクリーニング検査と考えてください。もしある種のがんが陽性だった場合あるいはがんに侵されていた場合は、既存の方法で精密検査を受けて確定診断を行なっていただくことになります。

▲リキッドバイオプシーによるイヌのがん検診のフローチャート

――検査結果が出るまで、どのくらい待てばよいのでしょうか。

病院へ回答できるのは3〜4日程度です。簡単に受けられるので、イヌの場合、7歳前後になったら定期的な健康診断のついでにがん検診を行うと良いでしょう。7歳はちょうど、ヒトで言えば30代後半から40歳くらいにあたります。ヒトと同じように考えていただければと思います。

がん摘出後のマーカーとしての利用も増加中

――現在、どのくらいの数の病院が導入しているのでしょうか。

おかげさまで、2024年2月14日現在、550の病院が登録されています。検査のリピート率は58%と高く、定期的にがんのスクリーニング検査を受けるイヌが増えているのはうれしいです。

――がんは早期発見できればそれほど怖くない病気だといいますが、一度かかると転移などが心配です。

がんは放置するとどんどん大きくなりリンパ節や多臓器にも転移します。出血や激痛を伴い、手術をしても食事や歩行が困難になり生活の質(QOL)も下がってしまいます。ただ、早期に発見できれば、がん種によっては内視鏡や放射線療法などを用いて大きな手術を避けることもできますし、転移や再発の心配もありません。

――手術を受けられた場合も経過が良好か、また抗がん剤治療の場合、いつまで続けたらいいか不安になる方もいると聞きます。

そういった方にも、マイクロRNAを用いたリキッドバイオプシーは有効です。この技術の優れているところは、がんの悪性度を数値化し、その数値の程度(高い、低い)で治療効果が判定できます。術後はもちろん、抗がん剤や放射線などの目に見えないがんに対する治療効果の判定も可能ですし、抗がん剤の投与を継続すべきか、否かの判定もできます。

伴侶動物のための予防医学が当たり前の世の中に

――今後は、イヌだけでなくネコにも応用するそうですね。

目標は2024年の秋か遅くても来年には、ネコのトップ5である、リンパ腫、扁平上皮がん、乳がん、線維肉腫、肥満細胞腫などに対応できるように開発中です。実は、我が家のネコも数か月前に口腔内の扁平上皮がんで亡くなったばかりです。まさに家族から離れて独身生活をしながら、ずっと二人で過ごしてきたネコでしたから、立ち直るのに時間がかかりました。

――それは辛いですね……。最近では「ペットロス」という言葉もよく聞かれるようになりましたよね。

最愛の伴侶動物を失う喪失体験は本当につらいものです。ヒトよりも寿命が短い動物の死に直面するのは避けられませんが、「どうして専門医なのに気がつかなかったんだろう」「もっと早くケアしてあげれば」などと飼い主が自分を責めて、深い悲しみの底から抜け出せないといったことを実際に体験し、この革新的な技術を用いて、少しでもこの苦しくて辛い気持ちを体験することなく、いつまでも楽しい時間を過ごして欲しいと念願しています。

――がん検査がより受けやすく、一般に広く浸透しなければならないのですね。

そのためには、投資家や企業による資金援助が不可欠です。ヒトのマイクロRNAを用いた同じ検査法では、40億円という投資支援があります。先ほども申し上げましたが、日本ではイヌやネコが家族であるという認識がまだまだ低いです。たとえば、警察で保護された迷いイヌや捨てネコは「遺失物」として扱われています(法律的)。迷って交通事故で脊椎が折れ、痛みで泣き叫んでも2週間は「遺失物」で治療もできなかったことを体験しています。ヒトのがん研究には、国から何億円という規模の膨大な資金援助がありますが、動物のがん研究にはほとんど援助がないのも理解できます。

――世界的には、伴侶動物の健康を考える「アニマルヘルスケア」の市場がさらに大きくなるといわれています。

そうですね。リキッドバイオプシーによる血中マイクロRNAの測定は、世界的に見ても競合性がなく、画期的ながん検査です。アメリカの伴侶動物の飼育頭数は日本の7倍以上と言われていますから、がん検査の需要も非常に高いと思われます。今後は、この革新的な技術を用いてアメリカをはじめ、中国やシンガポール、マレーシア、カナダ、ヨーロッパなど世界に向けて広く発信していきたいと思っています。今は伴侶動物に対して関心を持たない企業が大半ですが、なんとか理解の深い優しさのある企業を探して共に手を組んで、多くのがん難民(イヌ)を救ってあげたいと考えています。

――日本だけではなく、世界を視野に入れているのですね。

また、それと同時に、リキッドバイオプシーを用いた研究をさらに続けていきたいですね。今はまだ血液検査では判定できない難治性の炎症性腸疾患(IBD)やイヌの認知症なども判定できるようにしたいと思っています。ヒトの世界では、病気になる前、未病の段階でケアを始める「予防医療」が当たり前になっていますが、伴侶動物に対する予防医学という考え方も浸透してほしいですね。近未来は予防医学センターを開設し、血液検査だけでなく、リハビリや先進医療も取り入れたアンチエイジング療法なども提供できればと考えています。そのためには、落谷教授をはじめとする、医学部の先生とのコラボも積極的に進めていきたいです。

編集部コメント

数年前、我が家のネコも骨肉腫(骨のがん)により16歳で亡くなりました。病院を何件もはしごしましたが、「原因はわからない」「歳のせいじゃないですか」などと言われ、病名がついたのは亡くなる数日前。痛みから歩くことができなくなり、どんどん衰弱していく姿を見て、「どうしてもっと早く気づいてあげられなかったのだろう」と思いました。「あのとき、リキッドバイオプシーがあれば……」と思うと同時に、今、伴侶動物とともに過ごす多くのヒトの選択肢の一つになればいいなと思いました。今回、早く診断できたら短時間で悪い足を取れば、痛みもなくなり、また楽しい時間を過ごすことができるとお聞きしました。落谷教授と伊藤先生がタッグを組むことで、ヒトと伴侶動物の医療技術が互いに作用しながら格段に進化していくことに期待せずにはいられません。

[プロフィール]
伊藤博

元東京農工大学附属動物医療センター専任教授(現東京農⼯⼤学名誉教授)、元国立がんセンター分野長の落谷先生(現東京医科大学教授)と共同研究でイヌとネコの脂肪幹細胞を樹立し、イヌの脊椎損傷および重度肝障害に対する国内発の再生医療における治験を実施。2017年、大学退官後に高度医療を継続するため先端医療機器を備えた「動物先端医療センター・AdAM」を設立。2021年、僅かな血液でイヌのがん種が診断できるマイクロRNAを用いたリキッドバイオプシーを東京医科大学の落谷教授の協力を得て確立、検査体制を確立すべく株式会社メディカル・アークを立ち上げ代表取締役として現在に至る。


(取材・文:高橋顕子 写真・編集:高山諒)