“体感治安”が悪化…「安全な日本」を維持するために
世界でも有数の“安全国”である日本。警察庁の犯罪情勢統計※1によると、2022年の刑法犯罪の認知件数は60万1,389件と、2002年の285万件をピークに大幅に減少しています。
しかし、昨年11月に警察庁が行ったアンケート調査(注)によると、「ここ10年で治安はよくなったか」という設問に対して、「悪くなっている」「どちらかといえば悪くなっている」と答えた人は67.1%にのぼりました。
(注) 2022年11月、5,000人を対象にネット上で実施。
国内の治安は高いレベルで保たれているものの、いわゆる“体感治安”は悪くなっているというのが実態のようです。
しかも日本は今後、本格的な少子高齢社会を迎えることから、警察官をはじめ、治安を維持するための人的・物的リソースが不足することが考えられます。ほかのさまざまな社会課題と同様、防犯の世界にも「テクノロジー」を持ち込んで進化させることが、日本の安全な環境を維持していくために重要となってくるでしょう。
ここでは、こうしたいわゆる「防犯テック」に取り組んでいる企業を紹介していきます。
米国(海外)での防犯テックの活用事例
1.SoundThinking(米国)
まず紹介するのは、米国にあるSoundThinking※2です。同社は、主に警察機関に対してSaaS(ソフトウェア・アズ・ア・サービス)を提供しています。同社が提供する「ShotSpotter」というサービスは、町中に音響センサーを張り巡らせておき、銃撃が起こった場所を1分以内に特定し警察に通報するというものです。
米国はご存知のとおり銃社会で、日常的に銃撃事件が起きており、そのうち8割は通報されないという実情があります。
その点、ShotSpotterを導入すれば発生件数全体の約9割がカバーできます。事件が可視化されることで警察が効率的に緊急対応を行ったり、犯罪抑止のための統計データを収集したりすることが可能になるのです。
また、捜査などにあたり、警察をはじめとする法執行機関が持つ大量の情報から必要なものを引き出して調査することは大変な労力がかかります。「CrimeTracer」というサービスでは、大量のデータベースから情報を呼び出して高度な分析を加えることができ、警察の人員不足を補い、業務をサポートする役割を果たしています。
2.Citizen(米国)
米国では、ニューヨーク発の「Citizen※3」というスタートアップ企業が、同名のモバイルアプリ(Android/iOS)を提供しています。このアプリをインストールしておけば、米国内の60の都市とエリアにおいて、「〇〇で発砲事件」「〇〇で火災が発生中」というように、リアルタイムで発生している事件・事故の通知が届き、マップ上で確認することができます。なお、ウェブ版※4も利用可能です。
情報源は、警察への通報や警察の無線通信をキャッチし、同社のオペレーターが確認したうえで発信しています。
さらに、現場に居合わせたユーザーによる報告も取り込んでいるのが特徴的です。ユーザーによる中継映像配信や動画・写真の投稿、コメントの書き込みもでき、まさに“Citizen(市民)”による集合知を活用したサービスといえます。
こうした一般市民の情報を活用できるようになった背景には、スマートフォンの普及があります。スマートフォンの登場以前は、情報をキャッチした報道機関の記者が現場に駆けつけ、撮影ののちニュースにパッケージ化したうえで初めて大衆の目に触れていました。しかし、いまやほぼすべての人が高性能なカメラを備えたスマートフォンを持ち歩いていることから、現場の情報が即座に流通するようになりました。
また、報道では時間枠や掲載スペースが限られているために、どうしても大きな事件・事故のみを報じざるをえません。報道では掬い取れない小さな事件・事故についてもカバーされることで、ユーザー1人ひとりにとってリアルタイムで必要な情報を手に入れることが可能です。
国内でも開発が進む防犯DX
1.Singular Perturbations(シンギュラーパータベーションズ)
防犯とテクノロジーの掛け合わせに大きな可能性を感じるなか、日本においても防犯テックに取り組むスタートアップ企業があります。株式会社Singular Perturbations※5は、「世界の悲しい経験を減らす」というビジョンのもと、犯罪を減らすためのソリューション開発を行っています。
同社は、過去の犯罪発生情報や人口統計、土地利用データ、天気などといったさまざまなデータに基づき、独自のアルゴリズムで犯罪予測を行う「CRIME NABI」というシステムを開発しました。
このシステムをベースに、犯罪が発生しやすいと予測された場所を重点的にパトロールするルートを策定できるアプリケーションソフトウェアが「Patrol Community」です。警官はこれにより、経験や勘に頼るのではなく、正確なデータに基づいた最適なパトロールを行うことが可能となります。
2.VAAK(バーク)
近年、防犯カメラによって犯罪を未然に防ぐ「予知防犯」のテクノロジーも進化しています。
従来の防犯カメラは、その存在自体に犯罪抑止効果が認められるものの、撮影後しばらく経ってから警察が捜査に使用したり、裁判において証拠として提出されたりということが多く、犯罪を“予防”する効果は限定的でした。また、多くのカメラを設置すればするほど、それを監視する人間の労力もかかるという課題もあります。
2017年設立のVAAK※6が提供する「VAAKEYE」は、撮影データ中の人間の関節の動きや手に持っている物体などをAIで検知し、犯罪行為はもちろん、不審な行動や禁止されている行動などを自動的に認識することができます。現在、さまざまな場所に大量の監視カメラが設定されていますが、監視カメラを人間がみるだけでは、異常が発生したことを覚知することは難しくなっています。
このAIを防犯カメラと一緒に活用することで、異常を漏れなく認識することができ、公共空間における子供の見守りや、店舗での万引き防止など、犯罪の予防・抑止に役立てることができるのです。
防犯テックの進化の陰で…避けて通れない「リスク」
今回紹介したもの以外にも、今後さらに新しいテクノロジーが次々と登場し、防犯テックは飛躍的に進化していくことが期待されます。なかでもIoT(モノのインターネット)が発展・普及し、あらゆるデバイスがインターネットにつながるようになれば、発生している事象を即座に覚知し、防犯や犯罪者の逮捕につなげることがずっと容易になるでしょう。
しかし、防犯テックが普及する際に考えなければならないのは、「倫理的なリスク」です。たとえば中国では、すでに国内に数億台のカメラが設置され、カメラとAIを組み合わせた「天網」というシステムが構築されています。これにより、誰がどこでなにをしているのか、数分で割り出せる仕組みがあるとされます。
治安の維持と引き換えに、個人の行動が政府に筒抜けになってしまう社会……。このような社会を我々は望むでしょうか?
また、今回紹介した「Citizen」も、実際に倫理的な問題にぶつかっています。
Citizenは当初「Vigilante(自警団)」という名前でリリースされており、そのコンセプトは、ユーザーが事件・事故を共有し、「犯罪に巻き込まれている人を皆で助けよう」というものでした。しかし、犯罪の発生を知ったアプリユーザーが助けようと現場に駆けつけると、そのユーザーが犯罪に巻き込まれる恐れがあります。これを危惧した警察やメディアの批判を受け、リリース後わずか数日でApp Storeから削除されました。
その後、VigilanteからCitizenにアプリの名称が変わったものの、その内容にはほとんど変化がありません。
また、犯罪予測システムについても、もしその情報が警察の外に漏れてしまえば、犯罪が起こりやすい土地の価格が下がったり、その地域の住民に対する偏見を助長したりする恐れがあります。
このように、防犯テック普及の先にある二次災害のリスクと、加えて公権力のおよばないところで民間人同士が相互に監視する「私刑化社会」到来のリスクについては慎重に議論していく必要があるでしょう。
どこまで国による監視や相互監視の仕組みを受け入れるのか、また犯罪に関するデータをどこまで秘匿し、公開するのかなどのコンセンサスを形成することが、防犯テックを進化させていく前提として重要になってくるのではないでしょうか。
[プロフィール]
根来 諭
株式会社Spectee 取締役COO
1998年ソニー株式会社入社。法務・知的財産部門、エンタテインメント・ロボットビジネスでの経営管理を経て、福島県、パリ、シンガポール、ドバイでセールス&マーケティングを担当。中近東アフリカ75カ国におけるレコーディングメディア&エナジービジネスの事業責任者を最後に2019年、AI防災ベンチャー企業Specteeに参画。
郡山在住時の東日本大震災の被災経験、パリ在住時の同時多発テロ事件へのニアミス、政情不安定な国々でのビジネス経験をもとに、企業の危機管理をテクノロジーでアップデートすることに全力を注いでいる。防災士・企業危機管理士。 リスク対策.comにて「テクノロジーが変える防災・危機管理」連載中。