マウス用のVR?

近年、マウスやラットなどの小動物でもVRを認識できることが明らかになってきています。
VRが動物を対象とした科学研究に使われ始めたのは2000年代初めのことです。これまで、動物の脳の活動や状態を調べるためには、脳に電極を取り付ける必要がありましたが、そのため、動物の脳のメカニズムを解明することは困難でした。VR技術を動物に応用して「実際に動いている」と錯覚させることができれば、脳のメカニズム解明に役立つのではないかと考えられるようになりました。
2023年12月に米ノースウェスタン大学が発表した内容によると、同大学の研究者たちは、実験用のマウス向けに新しいバーチャルリアリティ(VR)ゴーグルを開発しました。
この小型ゴーグルは、単に見た目が小さくて可愛いだけでなく、マウスはより没入感のある体験ができるように設計されています。マウスを取り巻く自然環境をより忠実に再現することで、研究者たちはマウスの行動の背後にある神経回路をより正確かつ精密に研究できます。
これまでのシステムでは、研究対象のマウスをコンピューターやプロジェクションスクリーンで囲み、マウスに映像を見せるだけでした。これは単にテレビをみている感覚に近く、マウスがスクリーンの後ろから実験室の環境を見てしまい、平面的なスクリーンでは三次元(3D)の深さを伝えることができないことが課題でした。
また、マウスが空の天敵に対してどのように反応するのか、ということを観測する実験を行う際は、マウスが空から襲われる状況を再現するために、スクリーンをマウスの頭上に設置する必要がありましたが、この方法ではリアルな状況の再現が難しいという欠点がありました。なぜなら、マウスは上空からの捕食者を検出・反応する必要があるため、マウスの視野の上部は非常に敏感だからです。これは、生物としてマウスに刷り込まれた行動であり、脳に組み込まれているものです。
しかし、マウス用の新しいVRゴーグルはこれらの問題を解決します。
研究者たちはマウス用のVRを活用することで、マウスが実際に空から襲われる状況をリアルに再現し、マウスが自然環境で見せる脳の反応と同様の反応を観測することができます。
今後、VR技術の発展と応用の拡大によって、動物の脳がどのように機能しているのかがどんどん明るみになっていくことでしょう。これは同時に、我々人類の脳についてもこれまでわかっていかなかった新しい発見に繋がるのです。
VR技術で動物の脳活動をリアルタイムで観察

われわれ人間が、動物のの脳の状態をリアルタイムで観測し、なにかしらの特徴やパターンを見つけることは非常に難しいです。この課題を克服するために、今回紹介した研究のように研究者はVRを実験に取り入れています。
たとえば、マウスに現実の自然の中や人工的な迷路を走らせるのではなく、マウスに仮想の迷路をVRで見せながら踏み車の上を走らせることで、神経生物学者はマウスが仮想空間を移動する際の脳を観察できます。このような実験方法により、研究者は、情報が動物の脳でどのように処理されるのか? ということを理解できます。
しかし、まだこの研究には課題があることも事実です。現在のVR技術では、動物が実際の環境ほど没入していない可能性があります。VRを使っているとはいえ、あくまでマウスが見ている世界は仮想の世界です。マウス自身が自分の見ている世界が仮想の世界と気づいてしまっていては、脳は異なる反応を見せるでしょう。マウスがスクリーンに集中し、周りの環境を無視するためには多くの訓練が必要なのです。
VRは新しい発見への扉を開く技術

VRゴーグルは比較的安価で、あまり大がかりな実験設備を必要としないため、脳科学や神経生物学にとっては、研究に取り入れやすい器具です。
もちろん、マウスによるVR実験で明らかになったことが、人間や他の動物にも当てはまるのかという点については議論の余地があり、研究も進められています。ワシントン大学のエリザベス・バッファロー氏は、マウスと同様に、霊長類の海馬でもVRの刺激によって特定の場所のニューロンが発火するかどうかを研究しています。今後の技術発展によっては、将来的にVR以外の技術を利用して動物の脳の活動を観察することが可能になるかもしれません。それでも現時点では、VRは人類に新しい発見をもたらす上で大きな貢献をしていると言えるでしょう。
現在、VRやメタバースといった技術やサービスは、それがどうお金を生むか、人々の生活をどう変えるかといった側面から議論されることが多いです。しかし、筆者は現在のVRの醍醐味は、人類に新たな「発見」や「問い」を与えてくれることにあるのではないかと考えています。
筆者プロフィール
齊藤大将
株式会社シュタインズ代表取締役。情報経営イノベーション専門職大学客員教授。エストニアの国立大学タリン工科大学物理学修士修了。大学院では文学の数値解析の研究に従事。現在はテクノロジー×教育の事業や研究開発を進める。個人制作で仮想空間に学校や美術館を創作。