コロナ禍を経ても日本でオンライン診療が普及しない理由
新型コロナウイルス感染症(以下、コロナと略記)の流行は、全世界でデジタル化の流れを加速させるものとなりました。多くの人々がリモートワークやリモート教育を体験しましたし、通信回線の確保や必要なデジタルツールの準備などの課題を認識しました。あるいは通勤がいかに負担になっていたかを自覚するチャンスになったという人も少なくありません。
そうした中で、多くの人が必要と痛感しつつも普及が進んでいないと感じるのがオンライン診療ではないでしょうか。コロナの被害は感染した人だけにとどまりません。医療リソースがコロナに割かれたことによって適切な治療を受けられなかった人、感染を恐れて病院にいけず健康が悪化した人など、さまざまな形で間接的な被害が生まれました。ビデオ通話を通じて診察を受けられるオンライン診療が普及すれば、医療リソースの効率的な利用によって新たな感染病が流行しても病院の混雑を避けられる可能性が高まりますし、患者も感染のリスクを冒して外出しなくて済みます。また、普及のメリットは感染病流行時にとどまりません。リモートワークで通勤の苦しみから逃れられたように、通院の移動時間や待ち時間から解放されたいと願っている人は多いでしょう。
ところがコロナへの注目が薄れた今、オンライン診療普及という課題はすっかり忘れられてしまったかのようで、新聞やテレビでニュースを目にすることもなくなりました。これはいったいなぜなのでしょうか?
日本でオンライン診療が普及しない理由として、「オンライン診療の診療報酬が低いこと、設備投資がかかること、IT人材が不足していることから病院が消極的、日本の患者は保守的で新しい診療方法を好まない」などがあげられます。こう言われると納得しそうになりますが、本当に日本の特殊性がオンライン診療の普及を阻んでいるのでしょうか。
ポスト・コロナで米国・中国も失速
この分野の先進国である米国ではコロナ前の時点では約20%の医療機関がオンライン診療に対応していましたが、コロナを受けてその比率は60%を超えました。日本はコロナ後でも15%程度と言われるので雲泥の差です。対応病院の数だけではなく、国民の過半数がオンライン診療を経験したことがあるなど、患者も実際に利用するようになりました。ところがコロナ収束後はオンライン診療のシェアは5%程度にまで落ち込んでいます。
オンライン診療サービス最大手の米テラドック・ヘルスの株価を見ると、オンライン診療への期待と幻滅がはっきりとわかります。コロナ前は約70ドルだった株価は一気に急上昇し、2021年初頭には290ドル台と4倍以上に跳ね上がりました。ところがピークをつけた後はずるずると下がっていき、現在は約7ドルにまで下がってしまいました。コロナ禍で病院に行くのが危ない、病院がパンクしているという状況ならばオンライン診療を使うが、そうでなければ対面の病院を使うというのが大半の米国人の態度なのです。
「デジタル先進国」として注目を集める中国はどうでしょうか? 中国では2018年の法改正でオンライン診療が解禁されました。デジタル・ヘルスケアは成長分野と目され、アリババグループやテンセント、JDドットコムなどの大手IT企業が参入したほか、新興ベンチャーも参入するなどホットな分野となりました。
EC大国の中国では自動車や不動産までネットショッピングで買えないものはないとまで言われますが、処方薬も簡単にネットで買えるようになりました。インターネット病院が解禁されたこともあり、「頭が痛い、喉が腫れている」などとチャットで回答するだけで、電子処方せんの発行、ネット薬局での処方薬購入と配送がワンストップでできます。「秒開処方せん」(秒速で電子処方せん発行)という、強烈なネーミングのサービスです。数分の診察のためにわざわざ病院まで行って、順番を待って、その後薬局でまた待たされて……と苦行と比べると、なんとも便利だと感動します。
ただ、これは法的にはグレーゾーンにあります。中国のオンライン診療の法律では「一般的な疾病と慢性病に関する再診」のみが対象となりますが、以前に同じ解熱剤を飲んだことがあることから再診扱いとみなすという強引な解釈によってサービスを行っていることが多いのです。法律だけ見ると、オンライン診療での初診が解禁された日本よりも中国のほうが厳しく規制されているのに、現実では中国のほうがより踏み込んだことをやっているという逆転現象が起きています。
「日本人は合法を認められないとやらない。欧米人は違法だと言われないかぎりやる。中国人は違法と言われても抜け道を探す」というジョークがありますが、まさにその言葉通りの展開となっているわけです。また、人間の医師が判断せずにAIで適当な処方せんを書いているだけとの疑惑も絶えません。ただ、患者の不信感もあり、オンライン診療は主流とはなっていません。
また、中国発のユニークなサービスとして注目されたのが、医師の健康相談です。正規の診察はハードルが高いですが、医師に相談して「その症状ならばちゃんと大きな病院で検査したほうがいい」「数日様子を見てはどうですか」といったアドバイスをもらえるというものです。
中国のサービスがユニークだったのは、医師のギグエコノミーという点です。ギグエコノミーとは、フードデリバリーの配送員やライドシェア・ドライバーが典型的とされる働き方で、仕事と労働者をプラットフォーム企業が1回ごとにマッチングすることを指します。ビデオ通話やテキストメッセージなどの形式で医師に相談できるというわけです。サービスに登録した医師は隙間時間を使って、健康相談の副業を行います。
どの医師に相談するかはリストに掲載されている医師を口コミ評価や金額、所属病院などの情報から選択します。口コミ評価がどれぐらい信頼できるかの指標になるのは、ライドシェアやネットショップの仕組みそのもので、それがお医者さん選びにも摘要されているのは新鮮でした。日本では、エムスリーが2005年に医師のアドバイスをもらえる「AskDoctors」というサービスを立ち上げていますが、回答する医師を指名できないという点が大きな違いです。中国の健康相談は口コミや医師の所属病院や専門から誰に相談するかを選べる(人気医師は報酬も高額ですが)という点が異なります。
日本でも類似のサービス「LINEヘルスケア」が2019年にリリースされましたが、利用者は増えませんでした(2023年1月に終了)。実はこうしたオンライン健康相談が流行した背景には中国特有の事情があります。中小病院や診療所の質が悪く、病気になると誰もが大病院に行きます。しかもそうした大病院は地方にはないため、飛行機や高速鉄道に乗って遠征しなければならない人も多数いるのです。日本とは違い身近な病院、診療所の信用が低いため、大病院の有名医師にアドバイスを求めるニーズがあったというわけです。
ただ、アドバイスを求める人の多くは重病の可能性が気になっている人が大半。いかにプロの医師が相談に乗ってくれるとはいえ、検査もなく、ビデオ通話やチャットだけでは信頼できる回答は難しい。利用者からの不満も多く、中国でもオンライン健康相談は大きく成長してはいません。
高精度のビデオ会議システムやオンライン手術…着実に進んでいる領域も
このように見てみると、日本でオンライン診療が広がらないのは日本固有の課題だけではないと言えそうです。大きな病気のリスクを見逃さないためには信頼できる診療方式が重要なのです。病院がオンライン診療にすべて置き換わるのはまだまだ難しそうですが、デジタル技術を使うことで医療サービスの向上を見込める分野も見えてきています。
中国では第一に慢性疾患の管理が注目されています。糖尿病や腎臓疾患、高血圧などの病気は日々の食事療法や運動が重要です。血圧や脈拍、運動量、血糖値などを記録するデジタルデバイス、それにスマートフォン・アプリでの記録をあわせて、主治医とデータを共有する仕組みは、月に1回診察を受けるよりもはるかに高精度に健康状態を把握し、治療方針の策定に役立ちます。スマートウォッチや血糖値測定機などのデバイスを使った慢性疾患管理のオンラインヘルスケアサービスは大きく成長しています。
また、デジタル・ホームドクターも登場しました。定額制のオンライン健康相談で、ちょっとした不安をチャットで相談できます。毎回同じ医師が相談に乗ってくれるので、自分のことをよく知っている相手という安心感があります。
地方の医療リソース対策としては、5G通信を使った高精度のビデオ会議システムを使って、都市の大病院の専門医が地方の医師の診察や治療にアドバイスする仕組みの実装が加速しています。「D to P with D」(Doctor to Patient with Doctor)と呼ばれる方式で、対面診察に遠隔からの専門医のサポートが加わるという、手厚い仕組みです。中国の課題を解決する手法として大々的な導入が進んでいます。そしてオンライン手術。遠隔操作で手術ロボットを動かすことによって、地方にいながらにして都市の名医の手術が受けられる技術の開発が進んでいます。
日本でもオンライン手術の技術開発は着々と進んでいますし、離島や僻地の医療向上のための「D to P with D」の構築が進んでいます。待ち時間解消という一番身近な課題でも、まもなく大きな改善がありそうです。それが電子処方せんの普及です。これによって解消するのは病院ではなく、薬局での待ち時間です。アプリやファックスでの処方せん受付、あるいは処方薬での郵送など、便利なサービスを行っている薬局は増えています。ただ、ネックとなっているのが紙の処方せんを渡す必要があるということ。電子処方せんが普及すれば、薬剤師の指導はビデオ通話で、薬は郵送でという形で薬局に一度も行かなくても薬がもらえることも可能です。
電子処方せんは2023年初頭から導入が始まっており、2025年3月末までの普及が目標となっています。まだまだ対応していない病院が多いのが現状ですが、今後一気に変わるのではないでしょうか。地味ながら着実に進む、医療DXの未来が期待されます。
[プロフィール]
高口 康太
ジャーナリスト、千葉大学客員准教授。2008年北京五輪直前の「沸騰中国経済」にあてられ、中国経済にのめりこみ、企業、社会、在日中国人社会を中心に取材、執筆を仕事に。クローズアップ現代」「日曜討論」などテレビ出演多数。主な著書に『幸福な監視国家・中国』(NHK出版、梶谷懐氏との共著)、『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA、高須正和氏との共編)で大平正芳記念賞特別賞を受賞。